トップページ | 最新号紹介 | バックナンバー紹介 | オンラインショップ | 『風の旅人』について
人間社会は“時”を標準化するために時計を使用するが、
人生という“時”は、人それぞれの記憶で計るしかない。
人は自分の理解を超えた異質なものと深く関わる
たびに、自分の時と世界を広げ、変化していく。
その変化の一つ一つを、人は、自分の経験として記憶できる。
人は、時計や自分の経験で計れない“時”があることも知っている。
樹木の年輪や、地層や、皺を通じて、人は、そこに
到るまでの変化や、関係や、未来を察し、時全体を、
重層的な一枚の画としてイメージすることができる。
人は、そのイメージを、世界のリアリティとして記憶できる。
世界の各部分は、どれ一つ単独ではなく、存在のための
仕組みを他から受け継ぎ、他に引き継ぎながら、
過去と現在と未来に跨って存在している。
人は、そのように連続と連結によって、世界が構築されていると認識し、
全体の一部として自分の活動を位置づけ、記憶できる。
時は、部分と全体に跨り、過去と現在と未来に跨っている。
この世の物事は、何一つ単独に存在せず、一方から他方へと跨る
“時”とともに存在しており、異質なものとの相互作用で変化していく
ことが定められている。
牧野美智子
※下に紹介している写真は誌面全体のごく一部です。
© 北義昭
© 北義昭
© 北義昭
© 大西成明
© 大西成明
© 大西成明
© 大西成明
© 森永純
© 森永純
© 森永純
※掲載写真の印刷物への使用は法律で禁止されています。
定価 ¥1,200(税込)
全165ページ 30×23cm
牧野美智子
原始の記憶
photos / 北義昭
原始の記憶
photos & text / 大西成明
モーメント、モニュメント
photos & text / 森永純
Starlings
photos & text / Paolo Patrizi
光跡/追憶・・・ 和歌山
photos & text / ヨハン・オーカタ
古と今の世界
photos & text / 久保田博二
【連載】電気の働きに満ちた宇宙? 第8回 太陽
text / デビット・タルボット
【小特集】縄文のコスモロジー第1回 縄文の人間学
text / 酒井健 photo / 滋澤雅人
テ・マエヴァ・ヌイ
text / 管啓次郎
囀りとつぶやき
text / 田口ランディ
ぬるい目玉
text / 望月通陽
汝力なきものとして
text / 前田英樹
チェンマイ、彼岸の時空
text / 蛭川立
−引き引いたは、千僧供養
text / 姜信子
コーカサスの地と、映画への思い
text / 小栗康平
インサイトコミュニケーション
text / 皆川充
彼岸と此岸1 時の肖像
現代人の多くは、完成と未完成で世界を分別し、未完成なものが完全なる状態に到るために、階段を一つずつ上っていくことが成長であると思っている。現代のビジネス計画の多くが、そうした考えのもとに作られ、同様に、子供時代は未完成で、完成だとみなされる大人に一歩一歩近づくものだと教えられている。
子供が未完成で、大人が完成であるという考えが真実であるなら、適者生存の法則で、進化とともに子供から大人になるまでの時間は短くなっていく筈だ。しかし、人間は、あらゆる生物のなかで最も子供時代が長い。生まれて間もなく駆け出すことのできる馬などに比べて、人間の子供は、子宮内にいる時間が長いわりに、生後しばらく立つことすらできない。
人間の不確かなる子供時代は、不完全なのではなく、自らの遺伝子のなかに書き込まれたプログラムを書き変える能力を長く保持し続けている状態だと考えることもできるだろう。子供が親を真似して同じ営みを続けていくだけならば子供時代はできるだけ早く終えた方がいいだろうが、親の世代とは異なる新しい状況を作り出すためには、早い段階で固定してしまわず、柔軟性に富んだ子供時代が長く保たれた方がよい。すなわち人間の子供時代は、世界から多くの新しいことを学び、それに応じて生きていくために自分を変えていく力が優れている期間なのだ。実際に子供の3年は、大人の3年とは比較にならないくらい変化に富み、その経験を自分のものにしていく力は、大人よりも子供の方が長けている。
恐怖、苦痛、快楽など生死と直結する記憶は、多くの生物に共通のものだが、変化を認識し、それを見定めながら、その先に必然的に現れてくる未来を読み取り、自らを修正していく力こそが、人間ならではの生存能力ではないか。その能力が遺憾なく発揮されている時、人間は、世界を敏感に感受し、筋書き通りにはいかない未来を果敢に生きるために、ホルモンを分泌させ、臨戦状態にある。
計画された未来に縛られ、自分の先行きがわかったつもりになった瞬間、人間は、人間ならではの研ぎ澄まされた感覚を劣化させ、人間としての可能性の多くを失っていく。にもかからず、現代社会に生きる大人は、大きな過ちを犯す。生まれながら備えている自分の修正力を尊重せず、安易に「ハウツー」などに頼り、その力を損なう方向に自分自身や子供を導いてしまうのである。
曖昧な未来よりも過去に作られた固定的な価値観を優先し、それに従うという窮屈な生き方が、現代の管理社会では正当化されている。そのシステムに適応しやすい人が、社会を管理するエリートになりやすい。
集団生活のための方便として作られた標準的な約束事や時間を、とりわけ重要視しているのが現代社会だが、人間は、本来、別々の”時間”を生きている。一人のなかでも、心理や体調によって時間の感覚は違ってくる。また、時間は、”出会い”と”相互作用”によって濃密になったり、そうでなかったりする。
多くの人間は、自らの経験を通じて、自分を取り巻く世界が一つの正しい答で固定できるものではないし、いたずらに変化しているだけでもないことを知っている。
時とともに変化してきた樹木の年輪や、地層や、皺を見ると、どれ一つ同じものはなく、それぞれが微妙に異なりながら、全てがある一定の変化幅のなかに収まっていることがわかる。有機物も無機物も、環境変化に対する調整力を持ち、恒常性を保つ能力も備えている。変化していく定めのなかで、自分が自分であることを確認し、自らの固有性を維持しようとすることも自然の摂理に組み込まれており、だからこそ世界は簡単に標準化されない。といって勝手気ままになるわけでもなく、秩序に向かう力と、混沌に向かう力が均衡している。そして、その緊迫した状態に美を見出す感受性を人間は具えているのだ。
全ての物事は最終的に無に帰すから地上の出来事にこだわるのは無意味だという、知ったかぶりの説法も一理あるが、それが宇宙の真理だとすると、この地上に、これだけ多様な生態系は生じない筈だ。異なるものの出会いが数多く用意されているのは、そこに何かしらの意味がある。秩序と混沌の揺れ幅と均衡を絶妙に整えながら、世界は、恒常性を保ちつつも絶えず変化していくことを欲しているのだろう。
人間は、食物を得て自らの恒常性を保つだけで健全に生きられるわけではない。未来に向かって自分がどう変化していくかをイメージして、その具現化のために関係性を織りなしていくという精神活動によって生を活性化している。すなわち人間は、不確かな未来からエネルギーを得ることができるのだ。
人間にとって、世界とは、様々な関係性が詰まった時間そのものであり、人間は、その関係性を身につけ、行動のなかに織り込み、自分に固有の時間を世界に付け足していくことを潜在的に求めている。それがゆえに人間社会は、多様性に満ちて出会いの幅が広がるほどに、生き生きとしたものになっていくのだろう。
雑誌『風の旅人』編集長 佐伯 剛