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『風の旅人』 37号

FIND the ROOT 永遠の現在

時と悠

今、ここにある旅2 NEIGHBORHOOD

© 鷲尾和彦

© 鷲尾和彦

今、ここにある旅3 島の時間

© 山下恒夫

© 山下恒夫

今、ここにある旅4 あのときの未来

© 西山尚紀

© 西山尚紀

今、ここにある旅5 金のエンジェル

© 有元伸也

© 有元伸也

電気の働きに満ちた宇宙?第7回 不可解な、火星の樹枝状模様

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※掲載写真の印刷物への使用は法律で禁止されています。

vol.37 2009年6月発行

定価 ¥1,200(税込)
全170ページ 30×23cm

 「悠」
 人の背後に水をかけて、身を清めることでみそぎし、みそぎを終えて、心の伸びやかとなった状態をいう。心に鬱屈がなく、心安らかで、つつましくあれば、その想念もはるかになる。( 白川静 『字統』より)
 古今東西、様々な不条理に対応しながら生きてきた人間は、意識しやすい短期的な価値観に左右されながらも、根本のところでは、日頃はあまり意識しない長期的な価値観に基づいて生きているように思われます。
 また、当たり前のこととして長く実践し、必要に応じて修正し続けてきたものにこそ、人間ならではの尊い智慧が宿っている場合が多いように感じられます。しかしながら人間は、長く続けるうえで安易に形式に頼ってしまうこともあります。差し迫った必要性のなかで生まれたものが、習慣化され反復されるなかで惰性状態となり、本来の在り方を失いますが、そうした形骸化は、生命力の減退へとつながっていきます。
 ”みそぎ”というものは、惰性状態によって心のなかに厚くこびりついた角質を取り除き、心を伸びやかにし、覚醒させる瞬間です。人間は、時おり、そうしたリセットによって自らを新しくし、生命力を蘇生させることができます。
 短期の視点で、”新しさ”を追いかけるのではなく、長い時間のなかで物事を見て、自分が生き生きと感じられるものを探すこと。そうしたスタンスを取り戻さないかぎり、心が縮こまり、益々目先のことにとらわれ、傲慢になっていくでしょう。
 悠久の時の中で物事の移り変わりを眺め渡すと、平穏な状態が続くことはあり得ず、いろいろな波があるのが自然です。時おりめぐってくる試練に対して、自分を整え、乗り越えていく姿にこそ、人間の本分が現れるのだと思います。
 様々な逆境を乗り超えてきたものに触れることは”みそぎ”のようなものです。それじたいの悠々とした在り方が、私たちの心を、厳粛に、つつましく、安らかにし、目先の小さな分別から開放され、救いに感じられることがあります。
 

雑誌『風の旅人』編集長 佐伯 剛

【 表紙・裏表紙 】

望月通陽

【 写真 】

【 文章 】

コニカミノルタ フォトプレミオ座談会

座談会出席者 / 佐伯剛 中藤毅彦 野村恵子 エリック

     

「時と悠」

雑誌『風の旅人』編集長 佐伯 剛


 今、ここにある旅

 見知らぬ場所を訪れても、自分の眼差しが変わらなければ旅とは言えない。同じ場所にいても、惰性に陥らずに物事をみつめ、新たな発見と触発を通して自分を入れ替えていくことは、旅だ。
 現代社会の政治、学問、教育、経済等、知的エリートとみなされる人たちが主流の分野では、物事(他者)を細かく分析して標準的な答を見つけ出し、その答に大勢を従属させる点で似たような構造にあるが、そのようにして得られた答は、永遠普遍の価値を持つものではなく、この時代における便宜上の尺度にすぎない。
 それはそれで社会を維持していくうえで必要なものだが、その枠組みの中で自分自身の心の揺れを完全に抑圧して生きることが自然の理に適っているとは思えず、だからこそ人々は、自分なりの答を探し求めて旅に出るのだろうと思う。
 しかし、誰でも手軽に旅行ができるようになった現代社会で、せっかくの旅先でも、ガイドブックに書かれている有名なポイントをなぞるだけとか、他人がつくった価値観の枠組みの中でわかったつもりになる状況も増えている。遠方まで出かけたとしても、自分の眼差しが全く変わらなければ、時間の消費にすぎない。
 旅というのは、地理上の移動ではなく、あれこれと迷いながら、自分のまなざしでモノゴトをみつめ、自分なりの世界との付き合い方を体得していくプロセスのことだと思う。
 同じ場所に住んでいても、意識が変わり、視点が変わるだけで、世界も変わる。地球上のどこであっても、人間の営みには、それが成立していることじたいの奇跡を強く感じさせる尊い瞬間がある。そうしたものに出会う時、人間という存在のかけがえのなさを感じるとともに、自分が信じこんでいる価値観の偏狭さに気づくことがある。そのように自分の価値観を揺さぶられることは、心が蘇生するような快感があり、まさに旅体験そのものであると言える。
 しかし、人間の営みの尊さは、それをごく普通のこととして繰り返している当事者には気づきにくいし、通りすがりの人も見落としがちだ。そこに住みついたり何度も訪れたりしながら時間を共有することで、初めて見えてくるものがある。
 今回の誌面で紹介する写真家は、まさにそうしたアプローチで対象と向き合っている。彼らは、通りすがりの土地で自分本位に人間や風景を切り取るのではなく、一つの土地と長く付き合い、そこに生きる人々と心を通わせながら、人間の営みの尊さを写真で浮かびあがらせている。
 100年前、アメリカ合衆国の近代社会で生まれ育ったエドワード・カーティスは、アメリカ先住民の営みの中に入り、30年の歳月をかけて撮影を行った。デビー・フレミング・キャフェリーは、アメリカ合衆国の南部、ルイジアナ州に生まれ育った白人女性であるが、自分の農園で働く黒人達を、長期間にわたって丁寧に撮り続けている。
 そして、大阪生まれの奥山淳志さんは、10年間、岩手に住みついて撮影を続け、山下恒夫さんは、10年も沖縄の島々に通い続けている。鷲尾和彦さん、西山尚紀さん、有元伸也さんは、自分が生きて暮らしている場所の近隣で、自分にとっての他者の世界に深く向き合いながら、時間をかけて撮影し続けている。
 彼らが撮影しているのは、大きな出来事や目新しいものでもなく、人間の当たり前の暮らしであるが、それらの写真を見ていると、人間の日常の何気ない一瞬がとても清新に感じられてくる。彼らの眼差しを通じて日常を見つめ直すことは、まさに「今、ここにある旅」を実践することであり、その“旅体験”は、きっと新たな認識につながっていくだろうと思う。